この章では、周辺の環境が酵素の働きに与える影響について学んでいきます。ここで言う周辺の環境とは温度やpHのことです。酵素ごとにその働きが最も強くなる温度やpHが決まっていて、それぞれ最適温度、最適pHと言います。 最適温度や最適pHから外れた温度やpHでは、酵素は十分に働くことができません。ですが最適温度以外で酵素の働きが低下する理由と、最適pH以外で酵素の働きが低下する理由は違うのです。 これらの違いを見ていくとともに、まずは最適温度と最適pHの性質について解説していきます。

最適温度について

最適温度とは酵素が最も働きやすくなる温度でした。ヒトの体温は37℃くらいですから、ヒトの酵素の最適温度はたいてい37℃くらいとなっています。 なんとも合理的です。ところで、無機触媒には最適温度がありません。無機触媒は温度が上がれば上がるほど働きが強くなっていきます。 ここでは、酵素の最適温度より低い温度と高い温度の2つに分け、さらに無機触媒と比較しながら酵素の最適温度について説明していきます。

最適温度より低い温度

酵素が働くためには、まずは基質と結合する必要がありました。酵素と基質は細胞内外で液体にぷかぷかと漂っているわけですから、結合するためには酵素と基質がうまく出会わなければなりません。 そしてうまく出会うと反応がおこり、反応が終わると離れていくのでした。この流れをまとまると以下のようになります。

出会う→結合→反応→離れる

このステップのうちどれが温度によって影響を受けるかというと、実は最初の出会う段階です。それ以降の結合→反応→離れるという流れのなかではあまり温度の影響はありません。 温度が高くなると酵素や基質の移動速度が上昇し、出会う確率が上昇することで、同じ時間のなかでより多くの反応を起こすことができるわけです。 ちょうど、私たちが決められた時間のなかでより多くの友人宅へあいさつに伺うとしたら、徒歩よりも自転車で、自転車よりも車で回った方が効率の良いことに似ています。 どの友人のもとを訪れてもあいさつしてから別れるまでの時間は大して変わらないでしょう。これは酵素が結合してから反応が終わるまでの時間が変わらないということを指しています。 このように、最適温度より低い温度では、温度が高くなるほど酵素と基質の出会いが促進され、反応の速度が速くなります。これと同じことが無機触媒にも当てはまり、温度が高くなると反応の速度が速くなります。これまでのことを以下にまとめます。

酵素の最適温度より低い温度で温度を高くしていくと…
酵素と無機触媒ともに、出会い促進→反応も促進

最適温度より高い温度

最適温度より低い温度では、温度が高くなるほど出会いが促進されて反応の速度が大きくなるのでした。そしてこれは酵素にも無機触媒にも共通のことでありました。しかし、酵素の最適温度より高い温度では振る舞い方が変わってきます。 この違いを説明する上でのポイントは変性と失活です。変性とは熱を加えたり酸性や塩基性の液体に触れたりすることでタンパク質の立体構造が変化してしまうことを言います。 酵素の主成分はタンパク質ですから、熱や酸・塩基によって構造が変化してしまうわけです。 酵素には活性部位をはじめとして、構造が保たれているからこそ正常に働くことができる、という特性がありますから、変性によって酵素の活性が失われてしまいます。これを失活と言います。 ほとんどの場合、変性すれば失活も起こるわけですが、厳密には違うものなので区別しましょう。以下に簡単にまとめました。

変性:熱、酸・塩基→構造が変化
失活:活性が失われる

さて、最適温度よりも高い温度では酵素が熱によって変性し失活してしまいます。こうして正常に働くことのできる酵素がどんどん少なくなっていくので、温度が高くなるほど反応の速度は急激に低下していきます。 一方で、無機触媒にはそもそも最適温度というものが存在しませんから、温度が高くなるほど反応の速度が上がっていきます。酵素の最適温度より高い範囲では、温度が高くなった場合の酵素と無機触媒の働きは正反対の様子になることを覚えましょう。 ここまでのことを以下にまとめます。

酵素の最適温度より高い温度で温度を高くしていくと…
酵素:変性→失活→反応低下
無機触媒:変性も失活もしない→出会いがさらに促進→反応促進

最適pHについて

最適pHとは酵素が最も働きやすくなるpHのことでした。最適温度はほとんどの酵素が体温である37℃くらいであったのに対して、最適pHは酵素の種類ごとに大きく異なります。ここが大きなポイントです。 唾液に含まれているアミラーゼの最適pHは7、つまり中性です。口の中が酸性や塩基性になっていたら大変なことになってしまいます。ところが胃の細胞から分泌されるペプシンの最適pHはこれとは大きく異なり、2です。 これは胃液の中に含まれる塩酸によって胃の中は強酸性の環境になっているので、この環境で最も効率よく働くためです。このように酵素の種類ごとに最適pHが異なります。代表的な酵素とそれを分泌する器官、それぞれの最適pHを以下の表に示します。

酵素名分泌器官最適pH
アミラーゼだ液腺7
ペプシン胃腺2
トリプシン膵臓8

酵素がその最適pHから外れた環境におかれると、活性部位の形が不安定になってしまい、うまく基質と結合することができなくなってしまいます。これにより反応の速度が下がります。 また、この影響は最適pHから酸性・塩基性のどちらにpHが傾いても同じなので、最適温度と反応速度のグラフは、最適温度を中心として左右対称に低下していくグラフになります。以上のことを以下にまとめておきます。

最適pHから外れると…
活性部位の形が不安定に→基質と結合できなくなる→反応速度低下