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聖隷浜松病院での仕事と、それまでのキャリア

みなさんこんにちは、前回に引き続き、聖隷浜松病院の岡西 徹 先生へのインタビューをお伝えします。今回は岡西先生が現職に就かれるまでのキャリアについてです。

同じ日に行ったインタビューを二回に分けて文章にしましたので、話の途中から始まっています。
第一回はこちら

この対談は岡西先生のコラムに先立って、岡西先生の聖隷浜松病院でのお仕事、それから、そこに至るまでの先生のキャリアについてインタビューしたものをもとに当サイト管理人、平野が書きおこしたもので、文責は全て平野にあります。

平野ところで、話がかわりますが先生は大学時代からずっと小児科医になりたいと思っていらっしゃったのですか。

岡西いえ、小児科医になることを決断したのは大学6年生の、しかも冬です。その頃は今のような初期臨床研修制度がなくて、ストレートに小児科医局に入局する時代でした。つまり、卒業時点で科を選択していたのです。多くの医学生は、5-6年生の時に進路を決めたわけなのですが、実は、それまでは漠然と内科医になりたいと考えていました。
というのも、内科が医学の基本という考え方があるからです。すべての基本ですから、仕事を将来広げる際に、一番応用力があると思っていたんです。
ただ、自分が何に向いているのかというのがあって、親に相談したところ、あなたは子供が好きなのだから、小児科が良いのではないかと勧められまして。

平野なるほど、その言葉が決め手だったのですか。

岡西そうです。私はあまり親の言う事を訊かない人間なんですが、すごく悩んだときの親の言葉は大きかったです。その後、名古屋市立大学の医局に入局して、静岡県の聖隷三方原病院の小児科に医局から派遣されました。そこで小児神経科の横地先生と出会ったことが、私の人生の大きな転機のひとつだったと思います。

平野素晴らしい上司に出会われたのですね。

岡西ええ、横地先生は京都大学医学部出身で、いまも聖隷三方原病院の小児科で神経疾患のこども達を診療されています。小児神経学の大家で、非常に複雑かつ緻密な理論を構築されていました。その思考の深さと網羅性に、一流というのはこういう人とのことなのだと、圧倒されたのを覚えています。正直なところ、その理論は難しすぎて理解が充分に出来ませんでした(笑)。

平野聖隷三方原病院には、何年ほど在籍されたのですか。

岡西3年8ヶ月です。

平野しかし、それほど尊敬されている方なら、横地先生のもとにずっと残って修行をするということは考えられなかったのですか。

岡西 徹岡西そこなのですが、横地先生のもとにとどまっていては、結局、横地先生の縮小コピーにしかなれないと思ったのです。
それでお世話になった聖隷三方原病院から離れて大学院に研究員として戻ることにしました。当時の我々の医局では、大学院の申請から実際に研究室に入るまで2年半ほどブランクがあるのですが、ちょうど私が大学に戻る(大学院に入学する)時期には私を指導できる神経の先生が大学にいなかったんです。私にとっては無意味に大学に戻らなければいけないかもしれないピンチだったのですが、しばらくすると、逆に好機ではないかと思えてきました。
大学に縛られず、外に出て自由に勉強するチャンスではないかと。それで、医局に無理を言って鳥取大学の脳神経小児科に研修にいかせていただきました。
鳥取大学は小児神経科教室を日本で最初に作った大学でして、長い知識や経験の蓄積と、優秀な指導層の人材が揃っていたのです。

平野なるほど。災い転じて福となす、といいますか、ピンチに対してすぐに手を打ったことで、充実した大学院時代を過ごすことができたのですね。

岡西ええ、鳥取大学での2年間は非常に充実したものでした。当時の教授・准教授を始め素晴らしい指導者がそろっていました。特に脳神経小児科の斎藤先生という方がおりまして、この先生は同世代の小児科医師でも日本で最も多く国際雑誌へ論文を書いていたのではないかという程、沢山の実績のある人でした。
臨床も学問も斎藤先生にはマンツーマンで非常にお世話になりました。
私はそれまでも学会での発表をかなりの数を行っていたのですが、斎藤先生にそれでは形に残らないからと、論文、しかも英語論文にすることを勧められ、その書き方について徹底的に指導をいただいたのです。
また、以前から私は漠然と海外留学をしたいと考えていたのですが、この点についてもいろいろと指導を頂きまして、留学についての具体的なイメージができましたし、その方法も知ることができました。

平野人生の大きな転機の二つ目ですね。鳥取大学では小児科の次のステップとして小児神経科と論文執筆の基礎を学べたという事ですね。
れで、学位を取得されてすぐに海外に留学されたのですか?

岡西いえ、子供が小さかったのと、留学費用が十分ではなかったこと、それにもう少し腕を磨かないと海外留学で通用しないという考えもあって、学位取得後、一旦名古屋市立大学病院の医局に戻りました。
ちょうどその頃、聖隷浜松病院にてんかんセンターが設立されたので、派遣の形ではありますが、自分で希望して聖隷浜松病院に赴任したのです。

平野なるほど、そのころから聖隷浜松病院を希望されていたのですね。こちらでもやはり出会いが。

岡西ええ、こちらでも様々な方にバックアップして頂いたのですが、特にてんかん外科の藤本先生と小児神経科の榎先生にはお世話になりました。
藤本先生はてんかん外科手術の執刀を日本で一番多く行っておられる方で、私が留学したトロント小児病院を紹介してくださいました。
榎先生は岡山大学小児神経科の先生でして、日本でも小児のてんかんの内科治療にかけては指折りの知識、経験があり、有り難いことに指導がとても上手な先生でした。
結局、聖隷浜松病院では2年お世話になって、資金も目標額が貯まりましたし、基本的なてんかん外科治療に対する臨床経験や学問的な準備も充分出来たと思えたことから、2011年~2013年の2年間、トロント小児病院の神経生理学ラボに研究フェローとして留学させていただきました。
トロント小児病院のラボのボスは大坪先生という日本人の方なのですが、小児のてんかん外科治療の切除範囲を決定することにかけては世界的な先生です。
2年間の修行で研究だけではなく臨床についても世界でトップクラスの知識、概念、経験を得ることができました。てんかん外科解析は大変複雑で、論理とアートがごちゃ混ぜになった世界です。これは絶対に本や論文で学びきれない世界で、留学して直に接さないと理解できないものでした。また海外の生活の困難さは想像以上で、人間的にも大きく成長できたと思います。

平野小児のてんかん、およびてんかん外科を世界的なレベルで勉強されて、聖隷浜松病院に復職されたのですね。ここまで話を伺ってきて、岡西先生は非常に出会いに恵まれておられるというか、行く先々で人生の師とも言える方と次々出会われていますが、やはり、ひとつひとつのことを大切にすること、危機においては大胆に目標に向かう姿勢を保ち続けておられることが良い出会いにつながっているように思います。

岡西どんな人にも思いがけないチャンスはやってくると思いますが、それを計画的に起こし、そして自分の人生に取り込むように意識しています。『計画的偶発性』という考え方です。
今日はもう、随分時間が経ってしまいましたから、みなさんの興味がありそうなら、日を改めて説明させていただきますね。

平野あっという間に二時間以上経ってしまいました。医学部を目指す学生に取って有意義な話をお聞きできたと思います。本日はありがとうございました。

岡西いえいえ、名古屋からお疲れ様でした。今日の話が医師を目指す学生のためになれば幸いに思います。

岡西先生は医師の中でも専門家として突き進んできた方でした。小児科→小児神経科→小児てんかん→小児てんかん外科解析という専門家ステップを、一般病院からより専門施設に行って学び、海外留学をすることで駆け上がってきたと言う事が分かりました。
日本が海外に立ち後れている領域を、海外留学することで、現地の深い知識や感を含めて学び、日本では他の人に出来ない仕事をしているようです。
岡西先生の話を伺っているとよい施設を選ぶ事もですが、寧ろ師匠となる人を強調しています。そのため海外まで行かれたようです。私も出会いの大切さ、そして、高い目標を持つことの大切さがよくわかりました。また、その出会いを自分にとって意味のあるものにすることが出来るかどうかは、地道な普段の行い、つまりひとつひとつやるべきことをしっかりやっているかどうかが決めるのだとも思いました。
みなさんも、普段の勉強をひとつひとつしっかりこなしていくことで、良い出会いや偶然の幸運に恵まれることでしょう。
そして、その先に成功があるのです。

医局:
多くの医師は、○○大学の○○科に所属し、そこから派遣されてそれぞれの病院で働くことが多い。派遣元の科を医局と言う。
計画的偶然性:
成功した人の多くは予期せぬ偶然によってキャリアを形成しているが、この予期せぬ偶然を計画的に引き起こそうという考え方。スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授が提唱した。

岡西徹

岡西徹

聖隷浜松病院 小児神経科主任医長
聖隷浜松病院 教育タスクフォース

【認定医・専門医資格等】
日本小児科学会専門医
日本小児神経学会専門医
日本小児神経学会評議員
日本小児神経学会広報委員
日本てんかん学会専門医
日本てんかん学会専門医指導医
アメリカてんかん学会会員
日本結節性硬化症学会会員
医学博士
身体障害者福祉法第15条指定医
日本臨床神経生理学会認定医

【略歴】
2001年 名古屋市立大学病院
2002年 聖隷三方原病院
2006年 鳥取大学医学部附属病院
2008年 名古屋市立大学病院
2009年 聖隷浜松病院
2011年 The Hospital for Sick Children(Toronto) 神経生理部門 リサーチフェロー
2013年 聖隷浜松病院
Tohru Okanishi, MD, PhD
Division of Child Neurology
Seire-Hamamatsu General Hospital,
2-12-12 Sumiyoshi, naka-ku,
Hamamatsu, Shizuoka, Japan 430-8558,

 

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