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東大への道(合格体験記L・Z君)③

受験に落ちた。そのときの感情は複雑で挙げればきりがない。家族をはじめとする周りのサポートに合格という形で報いることのできなかった申し訳なさ、お前は東大に来るに値しないと不合格によって宣告された絶望感、何より努力しきれなかった自分自身の不甲斐なさ。涙は出なかった。努力していない者に与えられる当然の結果だったからだ。

発表の三日後には後期試験がある。沈んでいる場合ではなかった。試験科目は、小論文、数学、英語だが、二週間遊びほうけていたので、対策はゼロの状態であり、小論文などは生まれて此の方書いたことがないという状態だった。私はほぼ諦めていたのだが、母にまだすべてが終わったわけではないと諭され、人事を尽くして天命を待つことを決心した。

それから後期試験までは本気で勉強した。本来はもっと早く本気になるべきだった。どうしてしっかり勉強しなかったのか。そう悔やみながらも、とりあえず突貫工事が必要だった小論文の書き方を解説した薄い参考書を購入し、基本を押さえた。数学と英語は過去問を解き、形式に慣れることに努めた。数学は特に変わった問題が出題されていたのだが、ライバルとなる人たちも数学ができないから前期に落ちたのだと考えて、気負わずベストを尽くすことを本番では考えることにした。ネックはやはり小論文で、時間的・物理的制約の関係で、第三者の添削を受けられない状況にあり、完全に一人で試行錯誤するほかなかった。一朝一夕で論客になれるはずもなく、とにかく最低限筋道だった文章を書くことに腐心した。

迎えた本番。周囲と比べて、絶対的に勉強時間が足りていないことは明白だったので、試験会場に着いてからも、自分の足りない知識を拾うことに努めた。周りの受験生は諦めているのか、余裕を見せているのか、はたまた精神を集中しているのか、勉強していない人も目立ったが、私にはなりふり構っている余裕などあるはずもなかった。いよいよ試験が始まる直前、開いていた英単語帳のある単語が目に留まった。それは私が意味を曖昧にしか把握していないものだった。その正確な意味を確認し、試験に臨むと、何とも幸運なことにその単語を含んだ文章が和訳の問題として出題されたのである。対策という対策をしていない小論文についても、全くの門外漢である宗教や思想が出題されることがなく、試験終了後はそれなりの手ごたえがあったのだが、それは前期試験時も感じていたことであるし、自分の感覚はあてにならないと知りながらも、期待せずにはいられなかった。東大以外は進学先として考えていなかったのと、実際に二次試験を受けたのが東大だけであったので、後期試験に落ちれば一年間の浪人生活は確定であり、発表までは何とも言えない気持ちで過ごした。ただただ前期で落ちたことを悔いながら、祈るばかりだった。

迎えた合格発表日。前期試験同様、発表直後にホームページに確認しにいった。合格者の番号の載ったファイルをダウンロードし、恐る恐る開いた。

そこには私の受験番号があった。その時はただ安堵があった。何とか合格することができた。周囲のサポートに応えることができた。そのことを本当に嬉しく思った。

現役で合格したにも関わらず、同じ大学に合格と不合格を言い渡されるという結果に終わった私の大学受験。その過程はまったく誇れるようなものではないが、同級生の受験勉強の様子などを含めて振り返って思うのは、結局受験は運であるということである。入試で出される問題については、当然個々に得意・不得意があるため、得意なものを出題された人は当然だがアドバンテージを得る。また、特に数学などはひらめきで勝敗が決まる場合も多々あり、これは出たとこ勝負であることを否めない。私の場合は、後期試験において、直前に見たものが出題され、苦手な分野も出なかった。

とはいえ、これはすべて運任せで、努力を放棄してよいと言っているのではない。努力を怠れば私のように不合格という当然の帰結にたどり着くし、逆に努力をすればきちんと報われる。私は入学後の点数開示で、合格最低点の1点上で通っていたことが判明した。試験開始直前まで単語帳にかじりついた結果、目に留まったあの単語に私は救われたのだ。このことを知ったとき、最後まで諦めずに頑張ることの大切さを本当に感じた。

受験勉強は、合格の可能性を高めていくものなのである。やればやるだけ学力は高まり、知識は増え、入試で出される問題に対応できる可能性が高まる。これを“運”と呼んでも差し支えないだろう。自らの手で、合格する可能性という運を手繰り寄せるのが受験勉強であり、その方法の一例は今まで示してきたところである。正しい勉強を行えば、合格を勝ち取れない学校などない。

受験勉強は辛いことのほうが多く、逃げをうちたくなる瞬間が多々ある。私は意志が弱かったため、息抜きと称して何度となく勉強から逃げた。しかし、逃げたところで何もよいことはなかった。勉強すべきだとわかっていながら遊ぶことは自己嫌悪に繋がり、結局、心から楽しく遊ぶことはできない。そして、勉強していないから結果的に落ちる。不合格を超える辛いことはない。周囲が合格していく中で、ただ惨めなだけである。翻って、合格の喜びは何にも勝る。自分の新しい道が開けていく高揚感、達成感は何にも代えがたい。

受験は非情である。努力をしていても落とされる場合があり、絶対というものがない。しかし、日々最善を尽くした者には最悪の結果は訪れないはずだ。森田修学館ではこんな言葉が教えられていた。

“最後に笑う者が、最もよく笑う者である。” 受験で大切なのは、途中で腐らず、諦めずに頑張ること。強い意志をもって努力を積み重ねれば、望む結果は手に入る。最後に笑うことがきっとできるはずだ。

 

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