チェコ共和国

チェコ共和国はEUに所属し、ドイツ、ポーランド、オーストリア、スロバキアと国境を接する人口約1000万人の国です。

国土はボヘミア高原を中心としたなだらかな起伏の平地で、エルベ川、ヴルタヴァ川、オーデル川などの大河を有します。気候は大陸性で、日本と同様に一年を通して四季がはっきりしており、景色の移り変わりが美しく、春は多くの花が咲いています。

4月~5月 春(柔らかな日差しと、美しい新緑の季節。)
6月~8月 夏(梅雨はなし。夏の暑い日は30度を超えることも。)
9月~10月 秋(樹木が黄色く紅葉する季節。)
11月~3月 冬(雪が積もる日が多い。)

日本より緯度が高いため、平均気温は日本より低く、夏は気温が30度を超える日もありますが、平均気温は20℃弱です。しかし、冬の気温はそれほど低くならず、平均0℃~-1℃程度です。日本に比べて雨はあまり降りません。また、基本的に土地が平坦なため、地域による気候の差はあまりありません。

チェコは国民一人あたりのビール消費量が世界一です。日本人の口にも合う味で、代表的なピルスナービールは日本でも最近知られるようになってきました。

チェコ共和国 チェコ共和国

産業

平坦な土地に大河を有し、肥沃な土地を持ちますが、むしろ工業国として発展しています。豊富な地下資源を持ち、早くから産業革命に成功したため、1930年代には世界第7位の工業国となり、第二次世界大戦後から1989年まではソ連の影響下で共産党体制においても東欧一の工業国として知られました。

1989年にビロード革命により共産主義体制を崩壊させ、民主主義国家となったのちは、計画経済から市場経済への移行に成功し、2005年のEUへの加盟後は特に高い経済成長を遂げています。主要な輸出品目は機械・輸送機器・化学製品・金属などです。

歴史と街並み

歴史的にはやや複雑な経緯を持っています。現在、国民の90%を占めるチェコ人の祖先はスラブ人ですが、1000年ごろから1918年までの約900年にわたり、ドイツ人の神聖ローマ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国に支配され、大きな影響を受けました。しかし、神聖ローマ帝国の皇帝はボヘミア王(チェコ王)を兼任し、時としてプラハに王宮を持ち、文化を保護したため、チェコはドイツ人に支配されながら、ヨーロッパの政治・経済・文化の中心地として繁栄しました。

これらの街並みは第二次世界大戦でも破壊されず、現在も保護されているため、街には10世紀~20世紀のありとあらゆる建築様式の建物が混在しており、そのいくつかは世界遺産として登録されています。

シュピルベルク城
シュピルベルク城

>聖ペテロ聖パウロ大聖堂
聖ペテロ聖パウロ大聖堂

著名人・発明など

グレゴール・ヨハン・メンデル(1822年~1884年)

チェコ国立マサリク大学があるブルノ市を含むチェコ共和国東部をモラヴィア地方といいます。メンデルはモラヴィア地方の小農家の家に生まれ、その後、大学へ進学したのちブルノ市(当時名ブリュン)の修道院に所属しました。

メンデルは数学と物理学に非常に強かったのですが、その反面、生物学は苦手で一時期教師を目指しましたが資格の取得に失敗しています。しかし、生物学が苦手だったことがのちの遺伝の法則の発見につながっていきます。

ブルノの修道院の司祭となった後はえんどう豆の交配実験を通して、遺伝子と遺伝という概念を発見し、遺伝の法則を完成させ1865年に発表しました。メンデルの発見した遺伝の法則は、当時考えられていたどの理論よりも明快かつシンプルで応用範囲も広いものでしたが、形質の安定した純系にしか適用できないものでした。

当時は純系という概念がなく、メンデル自身もそのことに気が付いていなかったため、純系以外での実験結果との整合性を説明することができなかったこと、司祭から修道院長となり、職務が多忙になったことなどから、1870年ごろには交配の研究をやめてしまいました。

このように、メンデルの法則はメンデルの生前には認められませんでしたが、1900年にユーゴー・ド・フリース、カール・エーリヒ・コレンス、エーリヒ・フォン・チェルマクらによって再発見され、遺伝の研究に大きく寄与することになりました。

ソフトコンタクトレンズの素材開発

1971年にアメリカのボシュロム社がソフトコンタクトレンズを発売するまで、コンタクトレンズと言えば、プラスチックを素材としたハードコンタクトレンズでした。

ハードコンタクトレンズは硬く、まばたきのたびにわずかに動くため、装用時に違和感がありますが、ソフトコンタクトレンズは軟らかくて弾力性があり、角膜の形状に合うため、装用時に違和感がほとんどないという特徴があります。

ソフトコンタクトレンズの素材には軟らかさと含水性を持ち、反面乾燥しにくいという性質が求められるのですが、この素材として1971年から現代まで使われているポリヒドロキシエチルメタアクリレート(HEMA)はチェコ(当時はチェコスロバキア)の科学者 オットー・ヴィフテルレによって発明されたものです。